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大阪高等裁判所 昭和59年(う)527号 判決

控訴人 被告人

被告人 中崎修

弁護人 後藤一善 外一名

検察官 八木廣二

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一〇〇日を原判決の刑に算入する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人後藤一善及び被告人各作成の控訴趣意書記載のとおり(ただし、弁護人作成の控訴趣意書第一は、原審の訴訟手続に関し、刑事訴訟法三七八条二号前段の事由があることを主張する趣旨である旨、及び被告人が被告人作成の控訴趣意書において主張するところは、弁護人作成の控訴趣意書中の各控訴理由についてその論拠を示したものであつて、弁護人主張の控訴理由と別個の控訴理由を主張する趣旨ではない旨、いずれも弁護人において釈明した。)であるから、これらを引用する。

弁護人の控訴趣意第一及び被告人の控訴趣意中不法に公訴を受理した違法をいう点について

論旨は、要するに、本件被害者である北尾武が殺害されたのは、昭和三八年二月一九日であるところ、その単独犯人として起訴された能田一義に対する殺人被告事件の公判審理の過程で、同人が自己の単独犯行である旨の供述を変更し、被告人らとの共犯事件である旨供述するに至り、同三九年五月二八日の公判期日には能田の単独犯の訴因を被告人らとの共同正犯の訴因に変更する手続がとられたのに、捜査官は、そのころ能田の取調をしたのみで、以後、被告人その他関係者に対する取調等その共犯関係に関する捜査を容易になしえたにもかかわらず、これをしないまま長期間放置し、公訴時効期間満了日の同五四年七月一七日の一週間ぐらい前になつて、ようやく被告人を含む関係者の取調を開始し、右満了当日検察官によつて本件公訴提起がなされたものであるばかりでなく、本件殺人の犯行現場に居合わせ共犯の嫌疑がある者のうち被告人のみが起訴され、他はうやむやのうちに処理されているのであつて、このような本件公訴提起は、訴追裁量権を逸脱し、公訴権を濫用したものというべく、憲法三一条、刑事訴訟法二四七条、二四八条に違反し、同法三三八条に該当するのであるから、原裁判所は、本件公訴を棄却すべきであつたのに、それをしなかつたのは、不法に公訴を受理したものとして、同法三七八条二号前段に該当するので、原判決は、破棄されるべきである、というのである。

そこでまず、本件公訴時効期間満了日がいつであるかについて検討する。刑事訴訟法二五四条二項は、同条一項が当該事件についてした公訴の提起によつて時効がその進行を停止する旨規定しているのを承け、共犯の一人に対してした公訴の提起による時効の停止は、他の共犯に対してもその効力を有し、その場合停止した時効は、当該事件についてした裁判が確定した時からその進行を始める旨規定している。したがつて、犯罪行為の終わつた時から進行を開始した本件公訴時効は、共犯能田一義に対する公訴の提起によつてその進行を停止した後、同人に対する被告事件についてした裁判が確定した時から再び進行を始めることになる。

ところで、公訴時効がその進行を停止した後再進行した場合の時効期間の計算方法については、いくつかの見解があり、本件について検察官は、原審以来、このような場合の公訴時効期間満了日は、当初の時効期間満了日の翌日を起算点とし、暦に従つて時効停止期間をこれに加算することによつて算定すべきであるという見解に従い、本件公訴時効の満了日を昭和五四年七月一七日であると主張し、所論も又これを前提としている。たしかに、このように当初の時効期間に時効停止期間を加算するという見解には、算定方法が比較的簡明であるという利点もあるけれども、同法二五四条の定めている公訴時効の進行、停止及び再進行の過程に沿つていないという難点があつて、これに左袒することができない。当裁判所は、同条の定める公訴時効の進行、停止及び再進行の過程に従い、まずすでに進行した時効期間(犯罪行為の終わつた日から共犯に対する公訴提起の日まで)を暦に従つて計算し、これを法定の時効期間から控除して残期間を算出したうえ、共犯に対する裁判確定の日からその残期間を暦に従つて計算し公訴時効満了日を定めるべきであるが、すでに進行した時効期間に一か月に満たない端数を生じた場合は(年単位の法定時効期間から日単位の期間は控除し得ないから)、その端数の日数を切り捨てた時効進行期間を法定の時効期間から控除し、その残期間を暦に従つて計算したうえ、その最終部分から右端数の日数を控除して調整すべきであると解する。これを本件についてみるに、記録によれば、本件犯行の終わつた日が昭和三八年二月一九日、共犯能田一義に対する公訴提起の日が同年三月一二日、同人に対する有罪判決の確定日が同三九年八月一一日であり、右共犯に対する公訴の提起による時効の停止までに進行した時効期間は二二日であつて、一か月に満たない端数であることが認められ、本件殺人罪の公訴時効期間一五年から控除すべき進行ずみ期間はないことになるので、残時効期間を一五年とし、右有罪判決の確定日から暦に従つて計算したその期間(最終日が同五四年八月一〇日)の最終部分から、右端数の二二日を控除して調整すると、本件公訴時効は同五四年七月一九日の経過とともに完成することとなり、本件公訴提起はその期間内になされたことが明らかである。

次に、時効期間内に行われた本件公訴の提起につき、所論の主張するような違法があるか否かにつき検討するのに、原審及び当審で取調べられた証拠によれば、被害者北尾武殺害の単独犯として起訴された能田一義に対する殺人被告事件の公判審理の過程で、同人が単独犯であることを認めていた供述を変更して共犯者のあることを主張するに至り、昭和三八年七月九日には被告人らが共犯者である旨の同人の司法警察員調書が作成され、検察官も、北尾殺害が能田と被告人らとの共犯事件であると認め、同三九年五月二八日には単独犯の訴因を被告人らとの共犯の訴因に変更する手続(起訴状訂正という形式でなされているが実質上訴因変更手続と認める。)がとられたことが認められる。そうだとすれば、能田に対する更に詳細な取調、被告人その他関係者の所在調査、その所在の判明した者に対する取調等、被告人を含む本件共犯関係の捜査をなしえたはずであるし、また当然なすべきであつたと考えられ、現に被告人は、昭和四二年に自転車競技法違反で逮捕されて起訴公判請求されて以来同五三年監禁致傷・覚せい剤取締法違反等の事件により逮捕勾留されるまでの間に、(1)道路交通法違反(無免許運転)、(2)覚せい剤取締法違反・暴力行為等処罰に関する法律違反等、(3)覚せい剤取締法違反・傷害等、(4)銃砲刀剣類所持等取締法違反等、(5)覚せい剤取締法違反等の事件により、四回((3) と(4) とは同時言渡)懲役刑に処せられいずれも服役したことが認められるのであるから、その間捜査当局により有効適切な捜査がなされていれば、被告人の所在が早期に判明し、早期に刑事訴訟手続が進行したであろうことは明らかである。しかるに、この間昭和三八年一一月ころ被告人に対する本件殺人の逮捕状の発付を受け、短期間全国指名手配をしていたほかは、時たま関係者について被告人の所在調査をしていたことがうかがわれるだけで、他に何ら有効適切な捜査をした形跡のないまま長期の年月を徒過し、同五四年七月一〇日ごろに至つてようやく被告人を含む関係者の取調を行い、前記のとおり公訴時効完成の二日前である同月一七日被告人を起訴するに至つたのは、捜査及び訴追当局の怠慢によつて惹起された不当な措置であるといわざるをえない。そして又、能田及び被告人のほかには、所在の判明していた藤井健二こと藤井康雄を含め本件殺人事件の現場に居合わせた共犯嫌疑者らが一名も起訴されなかつたことも所論のいうとおりである。しかしながら、検察官の公訴提起が法令に従つて適式になされている場合、検察官が訴追裁量権を逸脱し、公訴権を濫用したとして、公訴の提起を無効ならしめるのは、たとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものと解すべきところ、本件においては、捜査訴追官が被告人の防禦権を制限するなど不当な意図を実現するために故意に捜査及び訴追を引き延ばしたとは認められず、また本件公訴提起に際し、被告人に関する証拠として、殺人罪という重罪の共犯者であり、かつ実行行為こそ担当していないが、共犯者中最も主導的立場にあつたと認められる資料が揃つていたのであるから、前記のように公訴時効完成間際になされたものであつても、被告人に対する本件公訴提起が右のような極限的な場合にあたり無効になるものとは考えられない。その他所論の説くところをつぶさに検討しても本件公訴を無効ならしめるような事由は認められず、本件公訴を棄却しなかつた原判決は相当である。論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意第二及び被告人の控訴趣意中事実誤認の主張について

論旨は、要するに、本件は、能田一義の単独犯であるのに、原判決が、被告人に殺意を認めるとともに、現場共謀を認定し、被告人を有罪としたのは、証拠の価値判断や取捨選択を誤つた結果、事実を誤認したものであるから、破棄されるべきである、というのである。

しかしながら、原審及び当審で取り調べられた各証拠によれば、原判決認定の事実は、被告人の殺意及び共謀関係を含めて、十分肯認することができる。すなわち、

原判決挙示の各証拠、並びに浅田末吉の昭和三八年二月一九日付、吉田春男の同月二一日付、能田一義の同年七月九日付、同月二五日付各司法警察員調書、能田一義の同年三月六日付、被告人の同月一日付各検察官調書及び小松崎広司、米澤賢二、大野貞義の各原審証言によれば、以下1ないし3の諸事実が認められる。

1  被告人らが松山市に来た事情及び被告人のグループ内における地位

被告人は、昭和三七年春ころ所属していた大阪の暴力団津村組が解散声明を出し、組織が壊滅状態となつたところから、松山市出身の同組員森川清に誘われ、同年一二月下旬ころ、浅野末吉(当時二〇歳)、藤井健二こと藤井康雄(当時二二歳位)、米澤賢二(当時一六歳)らと共に松山市に渡つて来たこと、そのころ同市二番町に開店したメリーダンスホールの経営者大野貞義と知り合つた被告人は、同人の世話で借りて住んでいた同市二番町三番地の三「大学モカ」の二、三階に、右浅野、藤井、米澤のほか浜本善明(当時二〇歳)、小松崎広司(当時一六歳)、吉田春男(当時一九歳)、中野勝及び若干遅れて能田一義(当時二〇歳)らを寝泊りさせ、一部の者には大野の負担で食事が給されていたこと、被告人はグループ員から「兄貴」と呼ばれ、グループの責任者と目されていたこと、グループ員らは右ダンスホールに自由に出入りし用心棒的役割を担う一方、右大野貞義からグループ員に対する指示や米・しよう油などの給付は、被告人を介してなされており、被告人は大野からグループの代表者と遇されていたこと、更に本件犯行(昭和三八年二月一九日午前二時ごろ)直後から能田が自首(同日午前四時四〇分ごろ)するまでの間に、「銀の星」での大野貞義らを混えた席で、犯行時犯行現場には能田以外のグループ員はおらず、本件は能田の単独犯で、しかも過剰防衛であるなどと警察に申告する旨の罪証隠滅工作をなした際、被告人が積極的な発言をしていること、したがつて、被告人がグループのリーダー的存在であつたこと、

2  本件犯行に至るまでの経緯

(一)  本件犯行の数日前、グループの一員であつた浜本善明が前記ダンスホールに出入りしていて知り合つた北尾武(当時二二歳)から負傷させられたので、被告人及びそのグループ員らは北尾と決着をつける必要があるとの共通の認識と感情を有していたうえ、たまたま犯行当日、浜本が北尾と治療費や慰籍料につき話し合いたい旨の意向を表明していたため、吉田、小松崎において北尾を呼びに行くことになり、もともと松山の住人であつた能田が道案内することとなつたが、その際吉田らは脇差様の兇器を携帯しており、吉田が能田に対し「パッパッとはつつといて、ブスツとやつたらしまいや」と言つたこと、そのため能田は右二人が途中で北尾を殺害するのではないかと思つたが、結局は何事もなく、前記「大学モカ」前まで北尾を連れて来たこと、

(二)  「大学モカ」三階で浜本は北尾に対し、謝罪や治療費の支払いを求めたが、話が進展せず、そこへ帰つて来た被告人を除くグループ員らは北尾と口論となり、立腹した吉田が刺身包丁で北尾を傷つけ、多量の出血をみるに至つたこと、

(三)  吉田が北尾を傷つけたのを見た能田は、外出中の被告人を捜しに出かけ、捜し出した被告人に対し、吉田が北尾を傷つけたことを告げたうえ、先きに北尾を同人宅へ呼びに行つた際の吉田の言動から吉田が北尾殺害の意図を有しているものと憶測していたため、その憶測をもまじえ、既に吉田が北尾を殺害しているかもしれないし、殺していなくても北尾を生かして帰せば重大な禍根を残すことになるなどと報告や意見を述べながら、「大学モカ」まで戻つて来たこと

3  被告人の「大学モカ」での言動及び北尾殺害の状況

(一)  被告人は、能田と共に北尾らの居る「大学モカ」三階へ向つて階段を上つていたところ、顔面から血を流している北尾を病院へ連れて行こうと一緒に階段を降りて来る吉田、浜本らに出会い、同人らに対し、病院へは話がついてから行けばよいなどと言つて、同人らを再び三階の部屋に戻らせたこと、

(二)  三階の部屋で、被告人、能田、浜本、吉田、小松崎、米澤らは北尾を部屋の奥に座らせて取り囲み、被告人は北尾の正面に置いた椅子に座り、謝罪に来なかつた理由を詰問したが、北尾は詫びないばかりか反発し、暴力団を頼んで話をつけるとまで言い出したため、被告人らは北尾の右態度に腹を立て同人を口口に責め、被告人は憤激の余り、北尾に対し、指を五本詰めるか、さもなくば往生せいなどと申し向け、その場は騒然と殺気立つた雰囲気になつたところ、急に浜本が刺身包丁を持つて「わしがやる、わしにやらせてくれ」と言つたのに対し、被告人がこれを制止し、他の者が包丁を取り上げて同人を部屋の外に出したが、その場は誰れかが北尾を殺害しなければ収まりがつかないような雰囲気になり、更に二、三人が次々に殺してやるという趣旨の発言をして刺身包丁を手にしたが結局右包丁は米澤から能田に手渡されたこと、

(三)  そして能田がその場の雰囲気に押されるまま米澤から受け取つた右包丁を右手に持ち、「わしがやる」と言いながら、前記のとおり北尾の正面に対峙している被告人の左横から前へ出ようとすると、被告人が「おうやれ」という趣旨の発言をしたのに応じ、能田は座つていた北尾の前に立て膝の姿勢で真向いになつて同人と二言三言言葉を交わした後、同人が立ち上ろうとするところを、左手でその首の辺りを押えて、胸部を一気に突き刺し、前のめりに倒れた同人の背部を二回突き刺したが、この間その場にいた者で、能田の右行為を制止する言動に出た者はいなかつたこと、

(四)  その後被告人が放心状態の能田を連れて二階の部屋に降りた直後に、藤井がやつて来て「まだ動いている、止めを刺さないかん」と言つて、能田がまだ握つていた包丁を取り、部屋から出て行つた際にも、被告人はこれを見ながら、藤井を何ら止めることなく、同人のなすがままにまかせていたこと、

これらの諸事実を総合すれば、右グループ内におけるリーダー的存在であつた被告人は、犯行現場で自ら北尾に対して発した激しい言葉とその場にいたグループ員らの言動とが相まつて、誰かが北尾を殺害しなければ収まりがつかない雰囲気が醸成されてくるうちに、北尾を殺害するもやむなしと決意し、遂に能田らと互いに意思を通じ、同人をして北尾を殺害させたと認定するのが相当であり、被告人の殺意及び現場共謀事実は十分肯認することができる。

上記認定事実に対する最も重要な証拠は、能田の供述、とくに同人が同人に対する殺人被告事件について前記のように単独犯から被告人らとの共犯へと供述を変更した以後、司法警察員及び検察官に対してなした供述である。これらの供述について所論は、能田が右のように従前の供述を翻えし、被告人らとの共犯である旨の供述に変えたのは、仲間が面会に来なくなり、自己の愛人を被告人が犯したとの噂を聞き、また拘禁中の同房の者から他の者を事件に引きずりこめば刑が軽くなると聞かされたために、被告人を共犯者に仕立てたのであつて、共犯である旨の供述は信用できない、と主張する。しかしながら、本件直後に行われた前記証拠隠滅工作の結果、被告人に伴われて自首し、捜査段階でも自己の公判でも、単独犯である旨の供述を維持してきた能田が、右のように供述を変更するに至つたのは、自己に対する求刑が懲役一〇年とされ予想外に重かつたうえ、そのころから仲間もあまり面会に来なくなり、自己の愛人を被告人が犯したとの噂を耳にするに及び、これ以上被告人らに義理立てして嘘を言いとおすのが馬鹿らしくなつて真相を暴露するという気持から発したものと考えられる。もつとも、同人の原審及び当審公判における供述は、前記グループのリーダー的存在でもあり現に暴力団幹部である被告人の面前で被告人に不利な具体的供述をするのを避け、ことさらに回避的であいまいな供述をしたり、被告人に対する庇護的な供述をしたりしている点が多いと認められ信用性に乏しいものと考えられ、同人の司法警察員及び検察官に対する供述にも前後若干くいちがう部分があつて細部に至るまで全面的に信用することはできず、とくに被告人の犯行前後における具体的言動に関する供述については、同人が被告人に愛人を犯されたという認識に基づく悪感情から、被告人に不当に責任を転嫁する危険のあることにも配慮して信用性が検討されなければならない。しかしながら、同人の右変更後の司法警察員及び検察官に対する供述は、大綱においては前後一貫しており、全体的にみて、従来の罪証隠滅工作に基づく虚偽の供述を改めて真実を述べたものとして高い信用性を有するものと考えられ、その被告人の具体的言動に関する部分も、本件現場にいた関係者で具体的な供述をしている米澤、吉田の供述、とくに米澤の検察官に対する供述、吉田の能田に対する殺人被告事件における証言と符合する限度においては十分信用するに価するものということができる。

所論は、吉田の右証言及び米澤の検察官調書についても、その信用性を攻撃し、とくに後者については、同人が被告人の妻と情を通じ、被告人に対し少なからず悪感情を抱いていたことから被告人に不利な供述をしていると主張する。しかしながら、右吉田証言はもとより公判廷における証言であつて格別信用性を否定すべき事情もなく、米澤には被告人の妻と情を通じた事実はあるものの、これが直ちに被告人に悪感情を抱きことさら被告人に不利な供述をする原因となりうる事情とは考えられないばかりか、同人の原審及び当審における証言に徴しても、同人が被告人に悪感情をもつているとはうかがわれず、同人は、これらの証言中において若干回避的な供述をしてはいるが、検察官の取調の際、意図的に嘘を言つたことはない旨明言しているのであつて、右調書にもその信用性を否定すべき事情はないものと考えられる。そして、吉田は右証言中で、「被告人が、めくばせと短い言葉で能田に対しやれ、という趣旨の合図をした」旨供述し、米澤は、右調書中で「被告人から何かいわれて能田が北尾のいる方に来て、『わしが行きます』というと、被告人が『おお行け』と言つた」旨供述しているのであつて、これらの供述を能田の検察官調書中の「被告人から、『一寸来い、お前やれ』といわれた」旨の供述と併せ考えると被告人の殺意及び現場共謀の事実を認めるに十分である。

その他所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を加えて検討しても、原判決に、所論指摘の事実の誤認はない。本諭旨も理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条、当審における訴訟費用を負担させることにつき刑事訴訟法一八一条一項本文を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 鈴木清子 裁判官 田中明生)

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